北海道の国鉄ローカル線

1975年当時の北海道の国鉄ローカル線の風景です。

宗谷本線(南稚内~抜海)、万字線釧網本線(原生花園~浜小清水)標津線白糠線。赤字はすでに廃止された路線です。

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宗谷本線 南稚内~抜海

宗谷本線抜海駅

北海道らしい駅で人気がありました。1975年当時は駅員が配置されていましたが、今では最北の無人駅となっています。宗谷本線は旭川~稚内 259.4kmを結ぶ、日本最長の地方交通線です。

1975年7月26日撮影

宗谷本線抜海駅

北海道らしい駅で人気がありました。1975年当時は駅員が配置されていましたが、今では最北の無人駅となっています。
宗谷本線は旭川~稚内 259.4kmを結ぶ、日本最長の地方交通線です。

1975年7月26日撮影

キハ56系 急行天北

利尻島を望む有名な場所。
残念ながら利尻富士は雲の中でした。

1975年7月26日撮影 抜海~南稚内

キハ56系 急行天北

利尻島を望む有名な場所。
残念ながら利尻富士は雲の中でした。

1975年7月26日撮影 抜海~南稚内

キハ56系 急行天北

上の写真と同じ場所です。

1975年7月26日撮影 抜海~南稚内

キハ56系 急行天北

上の写真と同じ場所です。

1975年7月26日撮影 抜海~南稚内

キハ22

ローカルの単行。

1975年7月26日撮影 抜海~南稚内

キハ22

ローカルの単行。

1975年7月26日撮影 抜海~南稚内

万字線

万字線は室蘭本線の志文から万字炭山まで23.8kmを結んでいたローカル線です。沿線には美流渡炭鉱、朝日炭鉱、万字炭鉱等多くの炭鉱があり、石炭輸送で栄えましたが、エネルギー革命による炭鉱の閉山により寂れ、1985年に廃止されました。


万字駅

駅舎は無人化後の1979年に改築され、廃線後は簡易郵便局として使用されています。
入場券は最低運賃区間の乗車券と共通でした。

1975年7月25日撮影

キハ2274

1975年7月25日撮影 万字

朝日駅

駅の後ろに見える朝日炭鉱は、この前年1974年に閉山しており、駅前の看板が当時の雰囲気を物語っています。 廃線後は「万字線鉄道公園」として整備され、この駅舎も現存しています。

1975年7月25日撮影

キハ213

1975年7月25日撮影 朝日

キハ2154

1975年7月25日撮影 朝日

釧網本線(原生花園~浜小清水)

釧網本線は網走~東釧路166.2kmを結んでいます。この当時は急行列車も走ってました。

キハ56系 急行しれとこ

1975年7月27日撮影 原生花園~浜小清水

1975年7月27日撮影 原生花園~浜小清水

キハ56系 急行しれとこ

1975年7月27日撮影 浜小清水

浜小清水駅

背景は知床半島

1975年7月27日撮影

DE101605の牽くローカル

1975年7月27日撮影 原生花園

標津線

標茶から根室標津までの69.4km、また中標津で分岐し、厚床までの47.5kmからなる標津線が出ていました。標津線はJR北海道に継承されましたが、平成元年に廃止され、道東の地図に空白ができました。


標茶駅

標茶駅は釧網本線の駅として今も健在です。

1975年7月28日撮影

キハ21+キハ22

根室標津行きが発車していきます。ここで厚床行きが分岐していました、

1975年7月28日撮影 中標津

キハ22 DD1646

1975年7月28日撮影 中標津

キハ22

厚床で根室本線と接続していました。

1975年7月28日撮影 厚床

白糠線

根室本線 白糠から北進まで33.1kmの路線でした。足寄までの延長計画がありましたが、実現しませんでした。日本一の赤字路線となったこともあり、1983年に特定地方交通線の先陣を切って廃止されました。上茶路~北進は1972年の開業であり、わずか10年余りで廃止されています。


写真は北進駅のキハ22です。

1975年7月29日撮影

写真は北進駅のキハ22です。

1975年7月29日撮影

北進、下北進の二駅は1972年に延長されています。元々釧路二股、奥茶路という駅名だったのをさらに北へ伸びる期待を込めて北進、下北進に変更したそうです。

1975年7月29日撮影

北進、下北進の二駅は1972年に延長されています。元々釧路二股、奥茶路という駅名だったのをさらに北へ伸びる期待を込めて北進、下北進に変更したそうです。

1975年7月29日撮影

  • 2014年12月14日up
  • 2022年1月23日更新レイアウト変更入場券追加