秩父鉄道

東武伊勢崎線の羽生から、熊谷を通り、秩父の三峰口まで71.1kmを結んでいます。
1901年に上武鉄道として開業しました。
旅客輸送以外に石灰岩の輸送も盛んに行われています。
ここは地方私鉄の中では比較的規模も大きく、廃止される心配もあまりないため、1977年にED38を撮りに行った一回だけです。電車の写真は少ないです。


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クハニ20形

木造車の鋼体化。100系の制御車。1988年廃車。 クハニ29がデハ107とともに三峰口に保存されていましたが、2019年に老朽化のため解体。。 この写真は東武熊谷線のついで撮りです。秩父鉄道の左の線路が東武熊谷線の線路です。

1977年4月17日撮影 熊谷

クハニ20形

日本車輛で木造車を鋼体化し、1950年に登場した100系の制御車。1988年廃車。 クハニ29がデハ107とともに三峰口に保存されていましたが、2019年に老朽化のため解体。。 この写真は東武熊谷線のついで撮りです。秩父鉄道の左の線路が東武熊谷線の線路です。

1977年4月17日撮影 熊谷

デハ500形+クハ600形

1962~1967年日本車輌製の自社発注車。車内はロングシートです。このころまでは秩父鉄道はオリジナル車が多く走っていました。 現在では他社の使いまわしばっかりになっています。1992年廃車。

1977年6月撮影 広瀬川原

デハ500形+クハ600形

1962~1967年日本車輌製の自社発注車。車内はロングシートです。このころまでは秩父鉄道はオリジナル車が多く走っていました。 現在では他社の使いまわしばっかりになっています。1992年廃車。

1977年6月撮影 広瀬川原

サハ60形

1950年に登場した100系の付随車。

1977年6月撮影 広瀬川原

サハ60形

1977年6月撮影 広瀬川原

デキ1形デキ2

1922年の電化時に導入されたウェスティングハウス製電気機関車。僚機は5両ありましたが、1984年と1988年に廃車されこのデキ2のみ1994年まで生き延び廃車されました。 デキ1が三峰口に保存されていましたが、2019年に解体。

1977年6月撮影 広瀬川原

デキ1形デキ2

1922年の電化時に導入されたウェスティングハウス製電気機関車。僚機は5両ありましたが、1984年と1988年に廃車されこのデキ2のみ1994年まで生き延び廃車されました。 デキ1が三峰口に保存されていましたが、2019年に解体。

1977年6月撮影 広瀬川原

デキ200形デキ203

1963年日立製作所製の自社発注機。デキ200形は3両ありましたが、202と203は2000年に三岐鉄道に譲渡され、2011年に廃車。201のみSL列車「パレオエクスプレス」の補機、回送用として使用されています。

1977年6月撮影 広瀬川原

デキ200形デキ203

1963年日立製作所製の自社発注機。デキ200形は3両ありましたが、202と203は2000年に三岐鉄道に譲渡され、2011年に廃車。201のみSL列車「パレオエクスプレス」の補機、回送用として使用されています。

1977年6月撮影 広瀬川原

デキ300形デキ302

1967年日立製の自社発注機。鉱石輸送用として2015年現在現役です。

1977年6月撮影 広瀬川原

デキ300形デキ302

1967年日立製の自社発注機。鉱石輸送用として2015年現在現役です。

1977年6月撮影 広瀬川原

ED38形ED381

1930年日本車輛製の元阪和電鉄ロコ1000。国鉄買収後ED38となり、阪和線で活躍しました。1960年頃に入線。1988年に廃車。三峰口で保存されていましたが、2019年に解体。

1977年6月撮影 広瀬川原

1977年6月撮影 広瀬川原

ワフ40形ワフ42

1977年6月撮影 広瀬川原

ワフ40形ワフ42

1932年日本車輛製の有蓋緩急車。

1977年6月撮影 広瀬川原

  • 2014年12月14日up
  • 2021年11月18日更新