北京の西北にある、西太后の隠居所として、1895年に完成した離宮です。元々は乾隆帝が1750年に作った清漪園ですが、アヘン戦争で破壊され、西太后が再建したものです。 昆明湖という人工湖を中心に宮殿建築が立ち並んでおり、西太后の権力の強さを感じさせます。また、日清戦争(1894-1895)をやっている時に完成しており、頤和園の建設資金が戦費を圧迫し、敗戦につながったとも言われています。

仁寿殿

西太后が政務を執っていた場所です。

仁寿門

2007年2月11日撮影

仁寿殿の前にある麒麟像。鹿の角、竜の頭、獅子の尾、牛の足で全身に鱗。善悪が見分けられるそうです。 仁寿殿は修理中でした。

2007年2月11日撮影

昆明湖と万寿山。頤和園の象徴、佛香閣が最も美しく見えます。2007年の冬は降水量が極端に少なく、昆明湖は干上がっていました。

2007年2月11日撮影

文昌閣 楽寿堂 長廊

文昌閣。

2007年2月11日撮影

楽寿堂。西太后の居館だったそうです。入口の左右に鹿と鶴の像があります。

2007年2月11日撮影

長廊。楽寿堂あたりから昆明湖の北岸に沿って728mの長い廊下です。西太后が散歩したのでしょう。

2007年2月11日撮影

佛香閣

八角三層で高さが41mあり、頤和園の中心の最も大きな建築物です。文化大革命の時は正面に大きな毛沢東の写真を掲出し、紅衛兵による破壊を免れたそうです。 本尊は明朝1574年に鋳造された高さ5mの銅像「南無大悲観世音菩薩」(千手観音)です。頭上に顔が4つ縦に載っており、一番上の化仏を一番上の手が支えていると言う日本では余り見ない形ですが、残念ながら撮影禁止です。

2007年2月11日撮影

2007年2月11日撮影

2007年2月11日撮影

佛香閣からの昆明湖。

2007年2月11日撮影

清晏舫

「石舫」とも言われます。要するに石の舟です。西太后が気に入り、連日ここで宴会をしていたそうです。 浮かばぬ舟に日清戦争の戦費を使い、清国北洋艦隊は全滅した、と言われる遺構です。

2007年2月11日撮影

2007年2月11日撮影

2007年2月11日撮影

蘇州街

万寿山の北側にあります。乾隆帝が蘇州が好きで、北京に蘇州の街を再現してしまいました。二月のため凍ってますが、江南地方の水郷の風情が再現されています。

2007年2月11日撮影

2007年2月11日撮影

2007年2月11日撮影

  • 2018年7月29日up