阪神電鉄北大阪線

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大阪 天神橋筋六丁目(天六)~野田4.3kmを結んでいました。 天六はかって新京阪のターミナルだった時代があり、まだ新京阪の天神橋筋六丁目駅の駅ビルが天六阪急ビルとして残っていました。 今では、天神橋筋六丁目駅は地下になってしまい、阪急千里線の始発駅ではありますが、実質、地下鉄堺筋線の途中駅に過ぎなくなっています。 天六から、大阪の古い町並みを中津まで走り、阪急をアンダークロスし、海老江の工業地帯を抜け、野田に着きます。
あまりモータリゼーションの影響も受けておらず、乗客も最後まで多かった様ですが、1975年の国道線の廃止と同時に廃止されました。


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背後に見える茶色のビルが阪急天六ビルです。 かっては、この2階に新京阪のターミナル、天神橋筋六丁目駅があり、この頃でも2階には往事のホームの跡が残っていました。このビルも2010年に解体されています。 北大阪線では「金魚鉢」は少なかった様に思います。

1975年5月6日撮影 天神橋筋六丁目

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31形は41~50が81~90に改番されています。

1973年9月撮影 天神橋筋六丁目

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1927年製の電車。45年使い続けて来ました。

1972年1月撮影 天神橋筋六丁目

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1975年5月6日撮影 南浜

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1975年5月6日撮影 南浜

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東海道本線をアンダークロスしていました。

1973年9月撮影 南浜

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東海道本線をアンダークロスしていました。

1973年9月撮影 南浜

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1973年6月撮影 南浜

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1973年9月撮影 南浜

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1975年5月撮影 北野

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阪急の鉄橋の下です。

1973年9月撮影 中津

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この阪急と併走する部分だけ専用軌道でした。

1973年5月撮影 中津

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1973年9月撮影 中津

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この鉄橋で国鉄の貨物線をオーバークロスしていました。

1975年5月6日撮影 中津

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1975年5月6日撮影 中津

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1972年1月撮影 中津

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1972年1月撮影 中津

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1975年5月6日撮影 中津

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1973年5月撮影 中津

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大淀から勾配を駆け上がって来ます。

1975年5月6日撮影 中津

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1973年9月撮影 大淀

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1973年9月撮影 大淀

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センターポールの区間がありました。

1973年5月撮影 海老江

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1973年5月撮影 海老江

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1973年5月撮影 海老江

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1973年5月撮影 海老江

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1973年9月撮影 海老江

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1973年9月撮影 海老江

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1973年9月撮影 海老江

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1973年5月撮影 海老江

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1973年2月撮影 海老江~野田

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野田に到着。

1973年9月撮影 野田

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野田の留置線。

1972年1月撮影 野田

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最終日の野田駅。

1975年5月6日撮影 野田

最終日の野田駅構内

舗装工事に備え砂利が入れられていました。

1975年5月6日撮影

  • 2015年3月7日up
  • 2022年2月15日更新レイアウト変更