阪神電鉄国道線

青字にリンクしています。

阪神本線の野田から神戸の西灘まで25.1kmを結んでいました。元々は0.9km西の東神戸までありましたが、1969年に廃止されています。
国道2号線(阪神国道)の真ん中を走る、単一の路線としては、日本で最も長い軌道線でした。西灘~上甲子園が1974年に廃止され、翌1975年には全線が廃止されました。


写真をクリックすると全画面表示されます。再度クリックで戻ります。ブラウザによっては拡大されない場合があります。

1形9 201形212

左の1形は北大阪線の天神橋筋六丁目行き。
右の201形は国道線西灘行きの留置車。
阪神本線の野田駅の高架下に、軌道線の野田駅がありました。

1972年1月撮影 野田

71形79

野田駅に到着する国道線電車。

1972年1月撮影 野田

91形91

野田駅の阪神本線に一番近いホームが国道線でした。

1973年5月撮影 野田

91形91

西灘行きとなって発車していきます。
奥に見える左のホームが北大阪線です。

1973年5月撮影 野田

201形210

国道2号線の真ん中を走っていました。

1973年5月撮影 中海老江

201形210

上の写真の後追いです。

1973年5月撮影 中海老江

201形210

野田を出て間もなく淀川大橋を渡ります。

1973年5月撮影 野里~中海老江

201形201

淀川大橋の上。

1973年5月撮影 野里~中海老江

71形78

1973年5月撮影 野里~中海老江

201形209

1973年5月撮影 野里~中海老江

31形83

ここから1974年3月17日に廃止された区間です。
写真の電車は西宮-野田の行き先板を着けており、西宮までの区間運転もあった様です。 阪神の軌道線は終点を除き安全地帯がなく、 直接路面から乗り降りしていました。 最終日の撮影です。

1973年3月17日撮影 西宮戎

31形83

ここから1974年3月17日に廃止された区間です。
写真の電車は西宮-野田の行き先板を着けており、西宮までの区間運転もあった様です。 阪神の軌道線は終点を除き安全地帯がなく、 直接路面から乗り降りしていました。 最終日の撮影です。

1973年3月17日撮影 西宮戎

31形83

上の写真の電車が発車していきます。 31形は41~50が81~90に改番されています。 「4」を嫌ったと言われていますが40が残り、 50が改番された理由が解りません。

1973年3月17日撮影 西宮戎

31形83

上の写真の電車が発車していきます。 31形は41~50が81~90に改番されています。 「4」を嫌ったと言われていますが40が残り、 50が改番された理由が解りません。

1973年3月17日撮影 西宮戎

71形79

西灘を出発していく野田行き。

1972年1月撮影 西灘

71形79

西灘を出発していく野田行き。

1972年1月撮影 西灘

71形79

1972年1月撮影 西灘

71形79

1972年1月撮影 西灘

71形79

このころは西灘までは1時間に1本くらいしか運転されていませんでした。

1972年1月撮影 西灘

71形79

このころは西灘までは1時間に1本くらいしか運転されていませんでした。

1972年1月撮影 西灘

201形203

最終日の臨時電車。最終日は満員です。

1974年3月17日撮影 西灘

201形203

最終日の臨時電車。最終日は満員です。

1974年3月17日撮影 西灘

西灘にあった運賃表

1974年3月17日撮影

西灘にあった運賃表

1974年3月17日撮影

31形33

最終日のさよなら電車

1974年3月17日撮影 西灘

31形33

最終日のさよなら電車

1974年3月17日撮影 西灘

31形33

最終日のさよなら電車
阪神本線をアンダークロスしていきます。

1974年3月17日撮影 西灘

31形33

最終日のさよなら電車
阪神本線をアンダークロスしていきます。

1974年3月17日撮影 西灘

31形33

最終日のさよなら電車
上の写真の歩道橋からの撮影です。

1974年3月17日撮影 西灘

31形33

最終日のさよなら電車。上の写真の歩道橋からの撮影です。

1974年3月17日撮影 西灘

乗車券

  • 2015年3月7日up