野上電鉄
青字にリンクしています。
紀勢本線海南駅の隣の日方から登山口まで11.4kmを結んでいました。登山口とは生石高原への登山口だそうです。
この沿線はタワシやロープの産地として知られ、その製品を港のある海南に運ぶため、1916年に開業しました。
紀勢西線(現JR西日本紀勢本線)が海南を通り箕島まで開通したのは1924年ですので紀勢西線より早い開業です。
戦後は、特産品の輸送はトラックに替わり、1971年には貨物輸送を廃止、同時に全線廃止の方針を打ち出しましたが、第一次オイルショックにより見直され、1975年に撤回、自治体の補助により延命されました。1992年に国の補助金見直しにより支援打ち切り対象となり、1994年に廃止、会社も解散しました。
まだ最初の廃止方針の撤回をしていない1974年の訪問です。電車は薄汚れていましたが、この頃は末期にあった様な不快なことはありませんでした。
写真をクリックすると全画面表示されます。再度クリックで戻ります。ブラウザによっては拡大されない場合があります。
クハ100形クハ101+モハ20形モハ27
1974年8月撮影 登山口~下佐


モハ20形モハ27+クハ100形クハ101
モハ20形27は1932年に鋼体化された元阪神700形707。1959年譲受。1994年廃止時廃車。クハ100形クハ101は1934年に日本車輌で鋼体化された元阪神1111形1118。1960年譲受。譲受時に電装解除。廃止時廃車。
1974年8月撮影 登山口


1974年8月撮影 登山口


モハ30形モハ31+クハ100形クハ102
モハ30形モハ31は元阪神1121形1130。1994年廃止時廃車。クハ100形クハ102は元1121形1128。譲受時に電装解除。1994年廃止時廃車。
1974年8月撮影 動木


1974年8月撮影 動木

