国鉄 鶴見線

大川支線南武線浜川崎支線

京浜東北線鶴見から扇町まで7.0kmと海芝浦支線1.7km大川支線1.0km合計9.7kmの都会のローカル線です。
1926年に鶴見臨港鉄道として開業しました。
1943年に戦時買収により国有化され国鉄鶴見線となりました。京浜工業地帯への通勤路線です。
大川支線では、17m級の旧型国電(クモハ12052 053)がJRとなった1996年まで使用されていました。
浜川崎で接続している南武線の浜川崎支線も、遅くまで17m級国電を使用していました。


写真をクリックすると全画面表示されます。再度クリックで戻ります。ブラウザによっては拡大されない場合があります。

73系クモハ73501

1972年に本線の17m級を置き換えました。
73系も1980年に101系に置き換えられており、引退寸前の写真です。

1979年12月撮影 国道~鶴見

73系クモハ73501

1972年に本線の17m級を置き換えました。
73系も1980年に101系に置き換えられており、引退寸前の写真です。

1979年12月撮影 国道~鶴見

73系 101系

101系への置き換えが始まっていました。

1979年12月撮影 鶴見

73系 101系

101系への置き換えが始まっていました。

1979年12月撮影 鶴見

73系

1979年12月撮影 鶴見~国道

101系

見えているホームは本山駅跡。
1942年に廃止されましたが、今でもこのまま。

1979年12月撮影 鶴見~国道

73系

1979年12月撮影 国道

73系

1979年12月撮影 国道

73系

1979年12月撮影 国道

73系

1979年12月撮影 国道

73系

この鶴見川の橋梁も1981年に架け替えられています。

1979年12月撮影 国道~鶴見小野

101系

投入が始まったばかりの頃です。
101系も1992年に103系に置き換わっています。

1979年12月撮影 国道~鶴見小野

73系

1974年4月3日撮影 武藏白石

73系

1974年4月3日撮影 武藏白石

73系

1974年4月3日撮影 武藏白石

73系

1974年4月3日撮影 武藏白石

73系

1974年4月3日撮影 武藏白石

73系

1974年4月3日撮影 武藏白石

クハ16027

1971年当時はまだ17m級国電ばかりでした。

1971年4月5日撮影 弁天橋

クモハ11307

1971年4月5日撮影 弁天橋

大川支線

武蔵白石から大川1.0kmを結ぶ支線です。
武蔵白石駅構内の曲線でホームと干渉するため、20m級が入線できず、JRになっても17m級のクモハ12を使用していました。
結局1996年に武蔵白石駅の大川支線のホームを撤去し、安善駅から直接乗り入れることで、103系に置き換えられました。
2006年から205系になっています

クモハ12051

1974年4月3日撮影 大川~武蔵白石

1974年4月3日撮影 大川~武蔵白石

1974年4月3日撮影 大川~武蔵白石

武蔵白石からは歩いても10分で着きます。

1974年4月3日撮影 大川

南武線浜川崎支線

南武線の浜川崎支線も1980年まで17m級が運用されていました。置き換え間近の写真です。
また、青梅線から石灰岩を運んでED16が来ていました。

クモハ11222+クハ16007

1979年12月撮影 浜川崎~川崎新町

クモハ11222+クハ16007

1979年12月撮影 浜川崎~川崎新町

クハ16007+クモハ11222

1979年12月撮影 川崎新町~浜川崎

クモハ11222+クハ16007

1979年12月撮影 浜川崎~川崎新町

クモハ11222+クハ16007

1979年12月撮影 川崎新町

クハ16007+クモハ11222

1979年12月撮影 八丁畷

ED1615

1983年廃車。この15号機は山梨県南アルプス市で保存されています。

1974年4月3日撮影 浜川崎

ED1615

1983年廃車。この15号機は山梨県南アルプス市で保存されています。

1974年4月3日撮影 浜川崎

ED162

1980年廃車。

1974年4月3日撮影 浜川崎

ED162

1974年4月3日撮影 浜川崎

EF15106

1979年になるとEF15が石灰岩列車を牽引していました。

1979年12月撮影 浜川崎~川崎新町

  • 2014年12月14日up
  • 2022年1月26日更新レイアウト変更