有田鉄道

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紀勢本線の藤並から金屋口まで5.6kmを結んでいました。
沿線の農産物を湯浅港まで輸送することを目的に設立され、紀勢本線よりも早く1915年に開業しています。 当初は目的どおり湯浅港(海岸駅)までの路線でした。 1926年に紀勢西線(紀勢本線)が開通すると藤並で紀勢西線と連絡するようになり、紀州みかんが国鉄で全国に運ばれるようになります。 紀勢西線と並行する藤並~海岸は1944年に休止となり、レールも撤去されました。 1950年からは紀勢西線湯浅駅まで乗り入れる様になりました。 この頃からみかんなどの輸送は次第にトラックに移って行き、1984年に貨物輸送は廃止されました。 本業を失った有田鉄道は懸命に合理化努力をしましたが、最後は一日2往復のみの運行となり、2002年廃止されました。 まだ、貨物輸送も行っていた1976年の撮影です。

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キハ07206 キハ58003

1976年2月15日撮影 金屋口

キハ07206 キハ58003 キハ58001

キハ58は001~003の3両が、富士急行から来たばかりでした。まだキハ07が主力で使用されていました。

1976年2月15日撮影 金屋口

キハ07206 キハ58003


1976年2月15日撮影 金屋口

キハ58003

1961年日本車輌製の元富士急行キハ58003。中央線の急行アルプスに併結して新宿まで乗り入れていました。 キハ58系唯一の両運転台車です。 1975年に急行アルプスが電車化されると運用を失い、有田鉄道に譲渡されました。廃止まで使用され、有田川鉄道公園(金屋口駅跡)で動態保存されています。

1976年2月15日撮影 金屋口

1976年2月15日撮影 金屋口

キハ07207 キハ07206

元国鉄キハ07206。1970年入線。この頃はキハ07の原型車も珍しくなっていました。ここもこの年(1976年)に運用を離脱しています。1983年廃車。

1976年2月15日撮影 金屋口

キハ250

1954年帝国車輌製。九州の山鹿温泉鉄道の注文流れ。茨城交通湊線にも同型が行っています。 山鹿温泉鉄道は発注したものの、水害に遭ってしまい、キャンセルしたそうです。1976年廃車

1976年2月15日撮影 金屋口

DB201 キハ07206

DB201は1965年日本輸送機製。この頃はまだ有田みかんの輸送を行っていました。1984年廃車

1976年2月15日撮影 藤並

キハ07206

紀勢本線に湯浅まで乗り入れていました。おそらく定期列車としては、最後に国鉄線を走ったキハ07形と思われます。

1976年2月15日撮影 湯浅

1976年2月15日撮影 湯浅

乗車券

  • 2014年12月14日up
  • 2021年1月6日更新レイアウト変更