京都市電のアルバム
京都は日本で一番最初に電車が走った町です。
1000年の古都のたたずまいに、電車はよく似合っていました。
学生時代は京都に通っており、二年間くらい通学に使っていた時期があります。ちょうど市電が廃止になった頃に京都から離れたため、その後京都に行っても、まだ市電が走っている感覚が長いこと抜けませんでした。
京都市電の撮影を開始したのは、1972年1月の四条、千本、大宮線の廃止の時からです。
それ以前の堀川線、伏見線等は撮影しておりません。私の京都市電撮影は四条、千本、大宮線の廃止から始まり、実質的には1976年4月の今出川、白川、丸太町線の廃止までの5年間です。この後の写真は枚数が急減しています。
従って四条、千本、大宮線に関しては、1日しか撮影しておらず、他の線と比べると写真が少なく、全線を一括りにしてあります。それ以外の線は区間別にまとめてあります。
モノクロの多い、稚拙な写真ばかりですが、下の方向幕をクリックして京都駅前か烏丸車庫からお入りください。また、地図(手書きですので、縮尺は適当です。)のご覧になりたい区間をクリックするとそこに進みます。車輛カタログには1972年の四条、千本、大宮線廃止時に在籍していた形式を紹介しています。
タイトルの線名の色は下記の線毎の廃止年度別の色分けになっています。また、文章は北から南、東から西への流れで記述しています。系統は四条、千本、大宮線廃止後、烏丸線廃止前を基準に経路を記述してあります。
ごゆっくり、まだ市電が走っていた、京都をご覧ください。
京都は日本で一番最初に電車が走った町です。
1000年の古都のたたずまいに、電車はよく似合っていました。
1972年1月の四条、千本、大宮線の廃止の時から、1976年4月の今出川、白川、丸太町線の廃止までの5年間、京都に通っていたこともあり、多く撮影しています。
従って四条、千本、大宮線に関しては、1日しか撮影しておらず、他の線と比べると写真が少なく、全線を一括りにしてあります。それ以外の線は区間別にまとめてあります。
下の方向幕をタップして京都駅前か烏丸車庫からお入りください。また、地図の青字をタップするとそこに進みます。車輛カタログには1972年の四条、千本、大宮線廃止時に在籍していた形式を紹介しています。
廃止直前の6番系統の社内音です。なお、ご利用のブラウザによっては再生できないことがあります。