型式カタログ 1972年

1972年に在籍していた型式の写真です。

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600形(601)
1937年~1942年に日本車輌と汽車製造にて95両製造。
1965年~1966年に18両が2600形に、1966年~1968年に 63両が1600形に改造されています。全車改造される予定 でしたが、廃止計画が進み、4両が未改造のまま1973年に 廃車となりました。
600形としての保存車はありません。

1972年1月22日撮影 壬生車庫

700形(716)
1958年ナニワ工機と東洋工機にて48両製造。
701~723は直接制御車で1974年の烏丸線廃止時まで 残りました。
703が梅小路公園に保存されています。

1974年3月撮影 烏丸車庫前

700形(747)
700形のうち724~748は間接制御車で連結運転可能でした。 また、外観も側面と前面の窓の下のラインを合わせるなど、 若干違っていました。 保守が面倒なため、1972年の四条、千本、大宮線廃止時に 廃車されています。

1972年1月22日撮影 壬生車庫

800形(888)
1950年~1955年に90両製造されました。
メーカーは川崎車輛、近畿車輛、帝国車両、汽車製造、 ナニワ工機、愛知富士産業、飯野重工業(現日立造船)の7社 に及んでいます。801~870の70輛が1800形に改造されました。
ツーマンのまま残った800形は1974年烏丸線廃止時に廃車となって います。 881~890は正面中央窓が拡幅され、900形とよく似た車体でした。 ラストナンバーの890が梅小路公園に保存されています。

1972年1月22日撮影 四条京阪前

900形(933)
1955年~1957年にナニワ工機、東洋工機、日本車輌にて、35両 製造されました。 901~915は間接制御車であったため、伏見線廃止後の1971年に 廃車となりました。 916~931の16両が1900形に改造され、931~935の4両が1974年 の烏丸線廃止時まで900形として残りました。
ラストナンバーの935が梅小路公園で保存されています。

1973年7月17日撮影 四条河原町

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1000形(1007)
1949年~1950年に32両製造。 メーカーは日本車輌、日立製作所、広瀬製作所の3社。 3扉の京都市電では最も大型の車輛でした。 1972年の四条 千本 大宮 線廃止時に全車廃車。 保存車はありません。

1972年1月22日撮影 壬生車庫

1600形(1644)
前述の600形の内63両を1966年~1968年にワンマン改造しました。 先に18両が後述の2600形に改造されていますが、コストが嵩んだため、 より安価に改造したものです。そのため、600形の面影を残しています。 1800形に次いで両数も多く、主力でした。 1976年の今出川 丸太町 白川線廃止時に全車廃車されています。 1605が梅小路公園で保存されています。

1976年3月31日撮影 天王町

1800形(1808)
前述の800形の内70両をワンマン改造しました。 京都市電の最大勢力であり、京都市電といえばこの型式を思い出します。 1978年の全線廃止まで運用されました。 6両が阪堺電気軌道に譲渡されモ251形となっています。 そのうちモ256(1870)が動態保存されています。また、モ255(1869)が アメリカのオールドプエブロトロリーに譲渡されています。 京都市内には1801が静態保存されています。

1976年3月31日撮影 今出川堀川

1900形(1916)
前述の900形の内、16両をワンマン改造しました。 900形の車番を引き継ぎ、1916~1931となっています。 写真の1916がトップナンバーです。 16両しかいなかったのが不思議に思えるくらい、存在感のある車輛です。 1800形とともに1978年の全線廃止まで運用されました。 事故で失われた1両を除き、15両が広島電鉄に譲渡され、健在です。 広島電鉄では1901~1915に改番されています。 写真の1916は1901になっています。

1973年9月撮影 烏丸出水

2000形(2004)
1964年~1965年にナニワ工機(現アルナ車両)にて6輛製造された、京都市電最後の新車。 ラッシュ時には連結運転、閑散時にはワンマン運転に対応するため、 間接制御です。 やはり間接制御が災いし、1977年の河原町線廃止時に廃車されています。 廃車後、5輛が伊予鉄道に譲渡され、健在です。 また、2001が梅小路公園に保存されています。

1973年9月撮影 烏丸車庫前

2600形(2605)
前述の600形の内、18両を1965年~1966年にかけて改造しました。 2000形との連結運転に対応するため、間接制御化され、車体も延長し、 扉位置も変更するなど、ほとんど新車に近い改造になっています。 2000形と同じく、1977年の河原町線廃止時に廃車されています。 2603が京都市内で保存されています。

1974年3月撮影 河原町五条

  • 2015年3月7日up