京阪電鉄京津線
石山坂本線

京阪三条から浜大津まで7.5kmの京津線と、石山寺から比叡山の麓、坂本まで14.1kmの石山坂本線から成ります。
浜大津付近は今でも路面を走り、また、かっては京阪三条から御陵の間が路面を走っていました。
現在では京都市営地下鉄東西線と相互乗り入れを行っています。
かってはトロリーポールを使用していました。 京阪沿線に住んでいた期間が長かったのですが、京都に行くと、京都市電、叡電、嵐電がメインになり、ついでに撮った写真が多いです。


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500形504

1979年に260形から改造され、新性能化。1500Vへの昇圧が出来なかったことと、非冷房であったため、1993年に廃車となりましたが、車体も台車も700形に引き継がれています。 504の写真は地上駅時代の三条京阪です。今電車の停まっている線路が、 京阪本線につながっていました。

1981年3月撮影 京阪三条

500形502



1981年3月撮影 京阪三条~東山三条

80形84

1961年近畿車輛製。 吊り掛け式ながら、高性能車でした。 新しいデザインにポール集電のアンバランスが魅力でした。 1970年にパンタ化。1972年に2両固定編成化。 1989年に冷房化。1997年の地下鉄東西線開通で用途を失い廃車。ポール時代の写真は1枚だけです。

1968年撮影 京阪三条~東山三条

80形94+93

パンタ化され2両固定編成された姿です。写真の94は最初から片運転台で落成しています。この路面区間は1997年の地下鉄東西線開通で廃止。

1981年3月撮影 東山三条~蹴上

80形90+89


1981年3月撮影 東山三条~蹴上

300形302

初代300形の機器を流用し、1965年から導入。川崎車輌製。 台車はブリルMCB。まさに車体だけ新車でした。 この頃の京阪にはこの手の電車が多かったです。 1970年にパンタ化。1984年には廃車となりました。 車体は600形608に流用されています。

1968年撮影 京阪三条~東山三条

260形273

1959年日立製作所製。 京阪線の旧型車の機器を流用しており、台車はブリルMCB。 この頃は準急用として主力でした。 1988年に廃車されましたが、車体は600形619に流用されています。

1981年3月撮影 東山三条~蹴上

350形359

石山坂本線の専用車。1967年に京阪本線800型の機器を流用し、近畿車輛で製造されました。
1992年に廃車。車体は700形703に流用されています。

1972年9月撮影 浜大津

350形 358+359

石山坂本線の専用車。
1967年に京阪本線800型の機器を流用し、近畿車輛で製造されました。
1992年に廃車。車体は700形703+704に流用されています。

1972年9月撮影 浜大津

350形 360+361 浜大津

浜大津付近の路面区間。ここは今でも路面です。

1972年9月撮影 浜大津

350形 360+361

1992年に廃車。車体は701+702に流用されています。

1972年9月撮影 松ノ馬場

260形274

260型も使用されていました。274は1961年日立製作所製。1987年に廃車。車体は600形613に流用されています。この頃はまだ単線で複線用のスペースだけ用意されていました。

1972年9月撮影 穴太

260形267

267は1957年ナニワ工機(現アルナ車両)製。1997年廃車。

1972年9月撮影 穴太

260形 278+277

1961年日立製作所製。1986年廃車。車体は600形610+609に流用されています。

1972年9月撮影 松ノ馬場

1972年9月撮影 松ノ馬場

  • 2014年12月14日up
  • 2022年2月8日更新レイアウト変更
  • 2023年5月4日リンク追加