島原鉄道
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長崎本線の諫早から、加津佐まで78.5kmを結んでいました。
1911年開業。1913年に現在の南島原まで開通しています。
一方、加津佐までは1928年に口之津鉄道として開通しました。1943年に島原鉄道が口之津鉄道を合併。
諫早~加津佐が島原鉄道となりました。
1958年から1980年まで国鉄へ直通運転も行っており、車両も当時の国鉄の水準の車両を使用しています。
1991年には雲仙普賢岳の噴火で南島原~布津が1997年まで不通となりました。
2008年に島原外港~加津佐35.3kmが廃止。現在に至っています。
1930年まで1号機関車が在籍していたことでも有名です。
キハ55が主力だった1975年の訪問です。
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キハ4500形キハ4501
1953年日本車輛製の自社発注車。国鉄キハ17(キハ45000)を自社向けにアレンジしたもの。キハ4500形は4両ありました。
1975年2月23日撮影 諫早


キハ4500形キハ4503 キハ4502
キハ4503は1953年帝国車輛(現総合車両製作所)製、キハ4502は1953年日本車輛製の自社発注車。
1975年2月23日撮影 南島原


キハ4500形キハ4505
1953年帝国車輛(現総合車両製作所)製の自社発注車。4504が欠番になっています。
1975年2月23日撮影 南島原


1975年2月23日撮影 南島原


キハ55形キハ5502
1960年帝国車輛(現総合車両製作所)製の自社発注車。国鉄キハ55を両運転台にした車両です。国鉄の急行に併結し、博多 小倉まで乗り入れていました。国鉄の同型車と識別しやすくするため、3本ヒゲ塗装です。 2000年廃車。
1975年2月23日撮影 南島原


キハ55形キハ5503
1960年富士重工製の自社発注車。2000年廃車。
1975年2月23日撮影 南島原


1975年2月23日撮影 南島原


キハ26形キハ2603
1964年川崎車輌製の自社発注車。キハ55の1エンジンタイプで外観は同じです。1997年廃車。
1975年2月23日撮影 南島原


キハ20形キハ2003
1958年帝国車両(現総合車輌製作所)製の自社発注車。キハ20はその後国鉄と水島臨海鉄道から15両転入してきて島原鉄道の主力となりますが、この頃は自社発注の3両のみでした。2008年の部分廃止時に廃車。
1975年2月23日撮影 南島原


キハ200形キハ201
1934年日本車輌製の元中国鉄道(現JR西日本吉備線)のガソリンカー キハニ170→国鉄キハニ170。1950年入線。1957年にディーゼル化。元中国鉄道の気動車には水島臨海鉄道キハ305等があります。1980年頃廃車。
1975年2月23日撮影 南島原


キハ200形キハ201
諫早側にはバケットなし。
1975年2月23日撮影 南島原


ニ107 キハ250形キハ253
ニ107は、1937年日本車輌製の元口之津鉄道カ6→島原鉄道キハ107を1960年に荷物車に改造した車輌です。
キハ253は、1933年日本車輌製の元中国鉄道キハニ150→国鉄キハニ150。1952年入線。1978年頃廃車。
1975年2月23日撮影 南島原


ユニ200形ユニ202
1933年日本車輌製の元中国鉄道キハユニ110→国鉄キハユニ110。1950年入線。キハ202となり、その後郵便荷物車に改造されています。
1975年2月23日撮影 南島原


ワ83
貨車を救援車として使用していました。
1975年2月23日撮影 南島原


D37形D3701
1968年川崎車輌製の自社発注機。D3701~03の3両あり、貨物列車の牽引に活躍していました。
この機関車の導入により、C12を置き換えました。1984年に貨物列車が廃止され、01,02が1988年廃車。
D3703が1999年まで残り、深江桜パークで保存されています。
1975年2月23日撮影 南島原


D37形D3702
1975年2月23日撮影 南島原


ワフ52+ニ211+国鉄貨車+DD3702
国鉄貨車+荷物車+緩急車。地方私鉄の貨物列車です。
1975年2月23日撮影 南島原


モーターカー
1975年2月23日撮影 南島原


ニ211 ユニ202
ニ211は、1937年川崎車輌製の元中国鉄道(現JR西日本吉備線)キハニ210→長門鉄道(1956年廃止)キハ10→防石鉄道(1964年廃止)キハ103。1965年入線。入線時に客車化されています。
右はユニ202 バケットが残っていました
1975年2月23日撮影 加津佐


加津佐駅
1975年2月23日撮影


乗車券

