京福電鉄
嵐山線北野線
青字にリンクしています。
京都四条大宮から渡月橋のたもと嵐山まで7.2kmを結んでいます。途中、帷子ノ辻から北野白梅町まで3.8kmの北野線が分かれています。
嵐山線は1910年に嵐山電気軌道として開業しました。1918年に京都電燈に合併。1942年に京福電気鉄道に譲渡。
北野線は1925年に京都電燈により開業しています。同じく1942年に京福電気鉄道になっています。
京福電鉄には京都に嵐山線・北野線と叡山線・鞍馬線の2路線、福井に越前本線・三国芦原線がありましたが、叡山線・鞍馬線は1986年に叡山電鉄に分離。越前本線・三国芦原線は2003年に第三セクターのえちぜん鉄道となり、現在はこの嵐山線・北野線のみとなっています。
1975年までトロリーポール集電でした。叡山線・鞍馬線の方が遅くまでトロリーポール集電でしたが、集電部がスライダーシューだったのに対し、嵐山線・北野線は最後までトロリーホイールを使用していました。
ほとんどがトロリーポール時代の撮影です。
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モボ121形
1971年8月撮影 太秦


トロリーポール
ポールの先端はホイール(回転するもの)とスライダーシュー(滑るもの)があり、スライダーシューに置き換わったところが多かったのですが、嵐電は最後までホイールでした。写真はモボ114のポールです。
1973年9月撮影


レトリーバー
架線を外れたポールが架線を切断しない様、紐を巻き取るためのものです。ポール集電の車両には必ずついていました。
1975年12月撮影


嵐山線


モボ121形128
1973年9月撮影 四条大宮~西院


モボ121形125
1973年9月撮影 四条大宮~西院


モボ301形301
1971年武庫川車輌(現阪神メンテナンス)製。 新製時にトロリーポールを装備した最後の形式です。 2007年に運用を離脱し廃車予定でしたが、 写真のモボ301は2008年に復活しました。
1973年9月撮影 四条大宮~西院


1973年9月撮影 西院


モボ111形114
1932年田中車輌製。
モボ101形、モボ111形、モボ121形は製造時期の違いで同型車です。
モボ111形は1992年までに機器をモボ501形 モボ611形に譲り、
廃車されました。
1973年9月撮影 西院


モボ111形114
1932年田中車輌製。
モボ101形、モボ111形、モボ121形は製造時期の違いで同型車です。
モボ111形は1992年までに機器をモボ501形 モボ611形に譲り、
廃車されました。
1973年9月撮影 西院
モボ101形102
1973年9月撮影 西院


モボ111形117
1973年9月撮影 三条口


モボ101形101
1973年9月撮影 三条口


ク201形202+モボ121形124
ク201形は1950年汽車会社製の制御車。 運用の都合上、トロリーポールを装備していました。
1975年12月撮影 太秦


1975年12月撮影 太秦


モボ111形114+115
秋の行楽シーズンには2連での運用が見られました。Zパンタ化後の姿です。
1979年10月撮影 車折


モボ111形116+117
1979年10月撮影 嵯峨駅前~嵐山


北野線
駅名が、常盤 鳴滝 高雄口(現 宇多野) 御室(現 御室仁和寺)妙心寺 竜安寺道(現 竜安寺)等持院と京都の古刹めぐりのような路線です。
モボ111形118
1973年9月撮影 鳴滝~高雄口(現 宇多野)


モボ121形126
1975年12月撮影 高雄口(現 宇多野)


モボ111形115
1975年12月撮影 高雄口(現 宇多野)


モボ111形115
1973年9月撮影 高雄口(現 宇多野)~御室(現 御室仁和寺)


モボ111形112
1973年9月撮影 高雄口(現 宇多野)~御室(現 御室仁和寺)


モボ111形118
1973年9月撮影 御室(現 御室仁和寺)


モボ111形115
1975年12月撮影 竜安寺道(現 竜安寺)


モボ111形115
1975年12月撮影 竜安寺道(現 竜安寺)
モボ121形130
1976年2月撮影 北野白梅町

