京福電鉄越前本線三国芦原線

京福電鉄には以前、京都の嵐山線・北野線 叡山線・鞍馬線とこの福井支社の路線がありました。
現在は嵐山線・北野線のみとなっています。
福井支社の越前本線は1914年に京都電燈の手によって、越前電気鉄道として開業しています。1942年に京福電鉄となりました。
北陸本線の福井と京福大野36.3kmを結んでいましたが、1974年に勝山~京福大野が廃止となり、福井~勝山27.8kmになっています。
1992年には東古市(現永平寺口)~勝山および、東古市から永平寺までの永平寺線の廃止を表明。行政の支援により路線を維持してきました。
三国芦原線は1928年にやはり京都電燈が関与する三国芦原電鉄として開業しました。
福井口で越前本線と別れ、東尋坊で有名な三国港まで、25.8kmを結んでいます。やはり1942年に京福電鉄になっています。
越前本線において2000年と2001年に連続して二度の正面衝突事故を起こし、二回目の事故の翌日から三国芦原線を含め、全線運行休止となり、京福電鉄は営業の継続を断念。そのまま廃止かと思われました。
ところが、冬季の積雪時、代替バスでは幹線道路が大渋滞となり、バス、マイカーとも通勤、通学に著しい支障が出てしまい、また、同じ地域の福井鉄道では問題は起こらず、積雪地における、鉄道輸送の重要性を改めて認識させられる結果となりました。
そのため、2003年から第三セクター えちぜん鉄道が引き継いで運行しています。
京福電鉄時代は雑多な車両の寄せ集めで、バラエティーに富んでいました。
京福電鉄時代の1973年、1976年、1982年の3回訪問しています。


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ホデハ261形ホデハ261

1940年日本車輛製の元京王デハ2408。1964年京王で廃車後譲受。1976年廃車。

1973年3月26日撮影 福井

1973年3月26日撮影 京福大野

ホデハ241形ホデハ241 ホデハ261形ホデハ262

ホデハ241形は1926年に日本車輛で製造、叡山線に投入されたデハ11形3両を1944年に移動。京都、福井間唯一の移動です。 移動時に電装解除しホクハ31となりましたが1949年に再電装。1957年には車体が更新されています。1991廃車。 ホデハ262は元京王デハ2400形デハ2402。1976年廃車。

1973年3月26日撮影 勝山

ホデハ271形ホデハ271

1927年日本車輛製の元小田急モハ1形モハ8→デハ1100形デハ1158→相模鉄道モハ1000形モハ1004を経て1964年入線。日立電鉄モハ1000形熊本電鉄モハ301も同系車です。 形式は1974年にホデハ→モハに変更されています。 1987年廃車。

1973年3月26日撮影 福井

1976年5月2日撮影 福井口

モハ271形モハ271

1982年5月4日撮影 福井

モハ271形モハ273

1927年日本車輛製の元小田急モハ1形モハ9→デハ1100形デハ1159→相模鉄道モハ1000形モハ1005を経て1964年入線。1987年廃車。

1982年5月4日撮影 福井

モハ281形モハ281

元東急デハ3300形デハ3307。1975年譲受。1979年にノーシルノーヘッダーに車体更新。1986年廃車。

1982年5月4日撮影 福井口

ホデハ301形ホデハ304

1928年汽車会社製の元池上電鉄モハ100形→目黒蒲田電鉄モハ120形→東急デハ3250形デハ3254。1947年譲受。1980年頃廃車。

1973年3月26日撮影 福井

ホデハ301形ホデハ304

1928年汽車会社製の元池上電鉄モハ100形→目黒蒲田電鉄モハ120形→東急デハ3250形デハ3254。1947年譲受。1980年頃廃車。

1973年3月26日撮影 福井

モハ1001形モハ1003

1949年日本車両製の自社発注車。1948年に発生した福井地震の被害による車両不足を補うため発注されました。1980年廃車。

1976年5月2日撮影 福井口

モハ2001形モハ2003

1938年川崎車両製の元南海モハ1201形モハ1223。1945年に戦災にあい、1947年に川崎車両で復旧。1972年入線。南海電鉄の600V→1500V昇圧に伴い、不要となったモハ1201形が16両譲渡されました。南海本線で南紀直通急行を牽引した名車です。この後しばらく南海からの譲渡車が主力となっていました。 モハ2001形は車体の老朽化から1985年までに阪神5231形の車体に乗せ換えられ、モハ2101形となっています。モハ2101形は14両がえちぜん鉄道に引き継がれ、2014年までに全車廃車。

1982年5月4日撮影 福井

1982年5月4日撮影 福井口

モハ2001形モハ2011

1937年南海天下茶屋工場製の元南海モハ1201形モハ1229。

1982年5月4日撮影 福井口

モハ2001形モハ2013

1937年南海天下茶屋工場製の元南海モハ1201形モハ1231。

1982年5月4日撮影 福井口

モハ2001形モハ2014

1939年南海天下茶屋工場製の元南海モハ1232。1945年戦災にあい、1947年に富士車両で復旧。

1982年5月4日撮影 福井口

モハ3001形モハ3001

1956年帝国車輛(現総合車両製作所)製の元南海モハ11001形モハ11009。南海11000系は南海本線の特急車として活躍していましたが、1974年に南海本線が600V→1500Vに昇圧された時に車齢の若い4編成(24両)を残し、廃車されました。 その内、予備を含め10両が京福電鉄に譲渡されモハ3001形になりました。

1982年5月4日撮影 福井口

1976年5月2日撮影 福井口

モハ3001形モハ3007

1954年帝国車輛(現総合車両製作所)製の元南海モハ11001形モハ11008。南海11000系の一次車で、正面貫通形でしたが、2枚窓非貫通に改造されています。モハ2001形の車体を阪神5231形の車体に乗せ換えたモハ2101形の姿も見えています。

1982年5月4日撮影 福井

1982年5月4日撮影 福井

電気機関車

1980年まで貨物輸送を行っており、電気機関車を保有していました。


テキ511形テキ512

元国鉄EC40形EC402。ドイツAEG(Allgemeine Elektrizitäts-Gesellchaft,Berlin)製の日本最初の電気機関車です。横川~軽井沢間専用のアプト式でした。1936年に廃車となり、1941年にEC401と2のラック関係の機器を取り払ったうえ譲受。テキ511と512となりました。 1964年にテキ511が国鉄に返却され、大宮工場にてEC40(10000)形に復元され、軽井沢で保存されています。残ったテキ512は、その後も走り続け、1970年に廃車となり、放置されていました。

1976年5月2日撮影 福井口

1976年5月2日撮影 福井口

テキ501形テキ501

1925年川崎造船所製の元庄川水力電気庄水3形5。庄川の小牧ダムの工事に使用されていました。1936年に工事の進展に伴い余剰となって譲受。ボンネットが左右に割れている独特のスタイルです。 富山地鉄デキ6502 加越能鉄道デキ6501も同系機です

1976年5月2日撮影 福井口

テキ501形テキ501

1925年川崎造船所製の元庄川水力電気庄水3形5。庄川の小牧ダムの工事に使用されていました。1936年に工事の進展に伴い余剰となって譲受。ボンネットが左右に割れている独特のスタイルです。 富山地鉄デキ6502 加越能鉄道デキ6501も同系機です

1976年5月2日撮影 福井口

テキ531形テキ531

1942年東芝製の元宮城電鉄ED353→国鉄ED2811。テキ511を保存のため国鉄に返却した際、代わりに譲渡されました。東芝の戦時標準型です。1980年廃車。

1976年5月2日撮影 福井口

 

テキ521形テキ521 テキ522

1949年日立製の自社発注機。えちぜん鉄道に引き継がれ、ML-521形となり除雪用として使用されています。

1982年5月4日撮影 福井口

テキ521形テキ521 テキ522

1949年日立製の自社発注機。えちぜん鉄道に引き継がれ、ML-521形となり除雪用として使用されています。

1982年5月4日撮影 福井口

テキ6形テキ6

1920年梅鉢鉄工製の自社発注機。 1993年に一旦除籍されましたが、日本国内現役最古の電気機関車として、京福電鉄福井支社活性化のため、1999年に復活。 えちぜん鉄道にも引き継がれました。2003年に除籍されましたが、構内入替機械として福井口で働いていました。2009年に勝山に移され、動態保存されています。

1982年5月4日撮影 福井口

1973年3月26日撮影 京福大野

  • 2014年12月14日up
  • 2022年1月22日更新レイアウト変更