清朝末期、西太后が権力を握っていた時代の宰相(軍機大臣)、きょうしんのうえききん(GongQingWangYiXin)の屋敷が紫禁城の北の街中に残っています。 元々は乾隆帝の時の軍機大臣、しん(HeShen)の屋敷でした。和珅はおそらく当時世界一の資産家と言われており、屋敷も贅を尽くしたものです。和珅は乾隆帝が亡くなると、次の嘉慶帝に死を賜り、財産は没収されます。 その後、嘉慶帝の弟に下げ渡され、清末に恭親王の屋敷となり、現代に伝わっています。中華民国時代には学校として使われていた時もあったそうです。

恭王府の入口。胡同の奥にあります。風水によれば最高の場所だそうです。

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

恭王府は表の邸宅と裏の庭園に分かれています。

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

邸宅と庭園を分ける佛楼。

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

庭園の入口「西洋門」。

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

2014年5月24日撮影

  • 2018年7月29日up