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沿線スナップ(東北/首都圏)

沿線スナップ(東北/首都圏)


昭55/3→103系化

東名~陸前大塚

Mc73389(昭53/11)

前身は昭和19年に買収された宮城電気鉄道の路線です。73系は昭和42年から17m鋼製車に代わって入線、寒冷地のためベンチレーターが押込み式に交換され窓もアルミサッシ2段化改造が行われていました。快速運転用にクモハ54、クハ68、モハ70などが配属されていた時もあります。
特集ページに紹介(平17.9.5)した別の画像はこちらです。

昭46/4→103系化

松戸電車区引込線

(昭47/3)

昭和46年4月の複々線化緩急分離運転開始に伴い引退した73系ですが、快速電車の受給バランス調整のため同年5月から翌47年3月まで朝の松戸~上野間に臨時快速2往復が復活、当時はたいへん驚きました。103系のスジに合わせるためか7M1Tという強力編成です。毎日眺めるだけで1度も乗車しなかったのが悔やまれます。
特集ページに紹介(平17.7.29)した別の画像はこちらです。



昭44/4→101系化

総武線

お茶の水~秋葉原

Tc79945(昭52/11)

房総地区で活躍していた津田沼区73系の廃車回送シーンですが、都心の真ん中を営業列車の間隙をぬってゆっくり走る堂々の11連はまるで大名行列のようでした。



昭52/9→113系化

成田

成田

Tc79(昭46/7)

気動車王国だった千葉局管内も昭和43年から48年にかけて相次いで電化されたことから昭和50年頃の津田沼区は73系の配属がピークを迎えていました。関西からの転属組も多く、首都圏の他線区と異なり大半はアルミ2段窓などの近代化改造を受けていませんでした。



昭51/9→113系化

千葉

千葉

Tc79025(昭47/7)

この当時は行先方向板を使用していましたが、晩年は運転室内助手席側に小型の行先札をぶら下げる方式に変わっています。方向板は上写真の成田線のものに比べるとデザインが単純です。



昭53/3→103系化

拝島

拝島

Tc16(昭46/3)

クハ16+クモハ73×2+クハ55で組成された五日市線列車。青梅線とも晩年は73系オンリーになりましたが、朝ラッシュの増結用として3扉のクモハ40が残されていました。
特集ページに紹介(平19.4.15)した別の画像はこちらです。



昭53/7→101系化

武蔵中原

Mc73072(昭49/4)

昭和19年に南武鉄道の路線を買収した路線です。昭和50年には津田沼区に次いで多い142両もの73系が配属されていましたが、駅構内が小振りで写真右の中原電車区も車両写真が撮りにくいため、2両単位で付属編成が留置される稲城長沼がお気に入りポイントでした。
特集ページに紹介(平19.4.15)した別の画像はこちらです。

昭55/11→101系化

川崎新町~浜川崎

Mc11222(昭54/12)

鶴見線や可部線から17m車が消えた後も古豪の活躍がみられました。鶴見線とともに撮影場所の難しい路線です。



昭47/12→73系化

鶴見小野

鶴見小野

Mc11(昭46/3)

昭和18年に鶴見臨港鉄道を買収した路線で、撮影当時の17m車時代は4連で運転されていました。
特集ページに紹介(平18.6.9)した別の画像はこちらです。

昭55/1→101系化

新芝浦

浅野~新芝浦

Mc73(昭49/5)

73系化当初は写真のように63形改造車が主役でしたが、晩年はいつの間にか全金属車や昭和27年以降の新製グループに世代交代が進んでいました。



昭54/9→103系化

横浜線

菊名~大口

Mgc13002(昭54/9)

103系化完了時まで午後1往復、荷電併結列車が運転されていました。クモニ13形には正面にサボ受けがないため、方向板は窓の内側にぶら下げています。
特集ページに紹介(平18.10.14)した別の画像はこちらです。



昭54/9→103系化

関内

Mc73602(昭53/11)

横浜線からの直通列車が磯子まで乗り入れていました。10両編成用ホームに4両列車が来ると・・・少し慌てる人もでます。