長野電鉄

1922年に河東鉄道として須坂~屋代が開業。1926年に長野電鉄となり、1927年に湯田中まで開通しています。 1981年に長野~善光寺下間を地下化。 2002年に信州中野~木島廃止、2012年には最初の開通区間である須坂~屋代が廃止され、現在は長野~湯田中33.2kmを結ぶ、長野線、河東線の一部、山の内線のみになっています。 長野線は、志賀高原への観光路線として、また、長野市の近郊路線として活躍しています。 まだ旧型車が活躍していた1976年の訪問です。


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モハ2000形
モハ2008+サハ2054+モハ2007

1976年3月13日撮影 須坂

モハ2000形
モハ2007+サハ2054+モハ2008

1964年日本車輌製の自社発注車。モハ2000形は1657年から特急用として導入された画期的な車両でした。A~Dの4編成あり、この写真はD編成です。特急だけでなく各駅停車としても運用されていました。2012年廃車。D編成はながでん電車のひろばで保存されています。

1976年3月13日撮影 須坂

モハ2000形
モハ2005+サハ2053+モハ2006

1959年日本車輌製。C編成。湯田中行きの有料特急に運用されていました。2006年廃車

1976年3月13日撮影 須坂

須坂駅

屋代から国鉄169系急行志賀が湯田中まで乗り入れていました。

1976年3月13日撮影

0系モハ2

0系OS2編成。1966年日本車輌製の自社発注車OSカー。地方私鉄としては画期的な4扉の通勤用の新車でした。1997年廃車。

1976年3月13日撮影 須坂

モハ1100形モハ1101

信濃鉄道デハ6→長野電鉄モハ1。1961年にモハ1の鋼体化名義で導入されました。機器は流用されてますが実質新車です。 1979年除籍後豊橋鉄道と伊予鉄道に譲渡されました。

1976年3月13日撮影 須坂

モハ100形モハ101

1926年汽車製造製の自社発注車。半鋼製車ですがトラス棒がついています。1980年廃車

1976年3月13日撮影 須坂

モハニ530形モハニ532

モハ101と同系のモハ二230形に発電ブレーキを付加した車両です。1980年廃車。

1976年3月13日撮影 須坂

モハ410形モハ411

1926年製の元東武デハ3形デハ13を1947年に譲受。English Electric社製の機器を使用しており、ディッカー車の愛称で呼ばれていました。制御方式の違いから他車との混用ができませんでした。 1977年まで運用され廃車。

1976年3月13日撮影 須坂

モハ450形モハ451

元東武デハ3形デハ11。入線後まもなく予備部品確保のため、電装解除し制御車化されました。1977年廃車。

1976年3月13日撮影 須坂

モハ610形モハ612

1927年川崎造船製の自社発注車。典型的な川造スタイル。1980年廃車。廃車後は3両が上田交通に譲渡。

1976年3月13日撮影 須坂

クハ1050形クハ1052

1948年から導入された日本車両製の運輸省規格型電車。戦後の混乱期には京阪1300形 阪急700形等大手私鉄にも、 運輸省規格型が導入されています。クハ1050形はモハ1000型を1954年に電装解除し制御車化。1981年長野駅地下化のときに廃車。

1976年3月13日撮影 須坂

クハ1550形クハ1551

こちらは当初から制御車。1981年廃車。

1976年3月13日撮影 須坂

モハ1500形モハ1502

勾配区間用に抑速発電ブレーキを装備。1993年廃車

1976年3月13日撮影 須坂

ED5001

1927年日立製の自社発注機。国鉄ED15形を設計の基礎にしており、よく似ています。3両ありましたが、5002、5003の2両はED5102を導入したときに余剰となり、越後交通に譲渡され、ED511 512となりました。 除籍後も構内入れ替えの機械扱いで須坂にいましたが、2017年に解体されました。

1976年3月13日撮影 須坂

ED5102

1969年に廃止となった北海道の定山渓鉄道から譲渡されました。1979年に長野電鉄の貨物輸送が廃止されると、越後交通に譲渡。長岡線の廃止まで運用され1995年に廃車されました。

1976年3月13日撮影 須坂

ワフ11

1922年に佐久鉄道から譲受。

1976年3月13日撮影 須坂

スム112

国鉄スム1と同型の鉄側有蓋車。

1976年3月13日撮影 須坂

  • 2014年12月14日up
  • 2022年1月17日更新レイアウト変更