越後交通長岡線

1915年に長岡鉄道として開業。
信越本線の来迎寺から西長岡、越後線の大河津(現寺泊)を経由し寺泊まで結んでいました。
1951年に電化。1960年に長岡鉄道、栃尾鉄道、中越自動車が合併し、越後交通 長岡線となりました。
1973年大河津~寺泊廃止。1975年越後関原~大河津廃止。同時に全線で旅客営業廃止。1993年西長岡~越後関原廃止。
1995年残る来迎寺~西長岡も廃止され、全線が廃止されています。田中角栄元首相が社長をしていたことでも有名です。
旅客営業廃止直前の1975年と、旅客営業廃止後の1976年に訪問しています。


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モハ1400形モハ1401

1975年3月20日撮影 大河津

モハ1400形モハ1401

1401は、1929年川崎車両製の元小田急デハ1400形デハ1415。1402は同じく元小田急デハ1402。1969年入線。元小田急のデハ1400形にはおとなりの新潟交通モハ16、クハ45形、もあります。 モハ1400形はクハ1450形とともに1967年~1969年に合計10両導入されました。

1975年3月20日撮影 大河津

モハ1400形モハ1402



1976年3月23日撮影 西長岡

モハ1400形モハ1403

1927年日本車輛製の元小田急デハ1200形デハ1203。1969年入線。元モハ1400形とは窓配置が違います。

1975年3月20日撮影 西長岡

モハ1400形モハ1403

旅客営業廃止後の姿。

1976年3月23日撮影 西長岡

モハ1400形モハ1404

1927年日本車輛製の元小田急デハ1200形デハ1210。

1976年3月23日撮影 西長岡

クハ1450形クハ1456

1930年川崎車両製の元小田急クハ1450形クハ1461。

1976年3月23日撮影 西長岡

クハ1450形クハ1453

1929年川崎車両製の元小田急クハ1450形クハ1453。

1976年3月23日撮影 西長岡

1976年3月23日撮影 西長岡

クハ1450形クハ1454

1930年川崎車両製の元小田急クハ1466。

1976年3月23日撮影 西長岡

1976年3月23日撮影 西長岡

ED510形ED511 ED512

元長野電鉄ED5002 5003を1970年に譲受。1980年廃車。長野電鉄に残ったED5001は2017年に解体。ED511は廃車後里帰りし、田布施駅のながでん電車の広場で保存されていましたが、現在は別の場所に移っています。

1975年3月20日 西長岡

ED510形ED512

1976年3月23日撮影 西長岡

ED310形ED311

1955年西武所沢工場製の元西武E31。1963年入線。東芝戦時標準形の車体です。1995年廃車。

1976年3月23日撮影 西長岡

ED260形ED261

富岩鉄道(国有化後富山港線)ロコ2→国鉄ED261。1940年日本鉄道自動車製?1924年ウェスティングハウス製の改造との説もあり、詳細は不明です。 上田交通ED25 1とよく似ていますが台車が違います。1980年廃車。

1976年3月23日撮影 西長岡

ED400形ED401

1960年東洋工機製の自社発注機。主力として使われていました。1995年廃車。

1976年3月23日撮影 西長岡

1976年3月23日撮影 西長岡

乗車券。

  • 2014年12月14日up
  • 2022年1月7日更新レイアウト変更