新潟交通
1933年に新潟電鉄として開業。県庁前(白山前)から弥彦線の燕まで36.1kmを結んでいました。県庁前~東関屋2.2kmは路面を走っていました。
1943年に新潟交通。県庁前から新潟駅前までの延長計画も有りましたが、結局果たせずじまいでした。
1985年には新潟県庁が移転したため、県庁前駅が白山前駅に改称されています。
1992年にはその白山前~東関屋廃止。1993年月潟~燕間廃止。
接続路線がなくなり、1999年に残る東関屋~月潟も廃止されました。月潟駅は廃止後も車輛とともに保存されています。
電動車はほとんどが日本車輌標準型の車体になっていましたが、この路線には良く似合っていました。
1972年と1976年と1984年に訪問しています。
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モハ24形モハ25
1969年日本車輛製。1935年製のモハ11形の機器を流用しています。日本車輌標準型の系列では最後に登場しました。
1984年11月24日撮影 灰方


モハ20形モハ21+クハ45形クハ48
モハ21は1967年に1933年開業時に導入されたモハ11形モハ13の機器を流用し車体更新。クハ48は1929年川崎車両製の元小田急デハ1400形デハ1412。お隣の越後交通長岡線モハ1400形も同じ元小田急デハ1400形です。県庁前~東関屋は路面を走っていました。
1976年3月21日撮影 県庁前


1976年3月21日撮影 県庁前


クハ45形クハ48+モハ20形モハ21
1976年3月21日撮影 東関屋~県庁前


クハ45形クハ45+モハ10形モハ14
オーバークロスしているのは国鉄越後線です。
1976年3月21日撮影 東関屋~県庁前


1976年3月21日撮影 東関屋~県庁前


クハ39形クハ39
元武蔵野鉄道サハ2322→デハ2322→西武クハ1214。同じ系列に流山電鉄モハ1001 クハ52
近江鉄道モハ9 蒲原鉄道モハ71等があります。
1976年3月21日撮影 東関屋


1976年3月21日撮影 東関屋


クハ37形クハ37
1952年に元国鉄キハ41080を制御車化。国鉄キハ41000系は各地の地方私鉄に払下げられていますが、電車の制御車になったものには、おとなりの蒲原鉄道クハ10があります。 連結面はキハ41000形の面影を残していました。
1976年3月21日撮影 東関屋


1984年11月24日撮影 東関屋


クハ45形クハ47+モハ16形モハ16
クハ47は元小田急デハ1414。モハ16は1956年に元伊那電買収車国鉄モハ1924を譲受。1968年に元小田急デハ1409の車体に乗せ換えたため、クハ45と同じ外観でした。
1976年3月21日撮影 東関屋


モハ16旧車体
1927年汽車会社製の伊那電デハ124→国鉄モハ1924の車体。1956年国鉄富山港線で廃車となったものを譲受。前述の通り、1968年に小田急の車体に乗せ換え、旧車体は倉庫になっていました。
1972年3月撮影 東関屋


モハ11形もしくはクハ31形旧車体 クハ38旧車体
奥はモハ11形もしくはクハ31形の旧車体が倉庫として使われていました。手前は1925年蒲田車両製の宮城電鉄モハ220→国鉄クハ6300の車体。1955年に国鉄富山港線で廃車となり、1956年譲受。1962年廃車。
1972年3月撮影 東関屋


?
自動車の前だけ切り取って車輪に乗っけた?正体は不明です。
1972年3月撮影 東関屋


?
貨車移動機?これも正体は不明です。
1984年11月24日撮影 東関屋


キ116
元国鉄のキ100形キ116を1968年に譲受。
1976年3月21日撮影 東関屋


東関谷駅
1976年3月21日撮影


