福井鉄道福武線

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北陸本線の武生から福井駅前に寄り道し、京福電鉄(現えちぜん鉄道)三国芦原線の田原町まで20.9kmを結んでいます。
1924年に福武電気鉄道として開業しています。1945年に鯖浦電気鉄道(鯖浦線)と合併し福井鉄道となりました。
かっては鯖浦線と南越線がありましたが、鯖浦線は1973年、南越線は1981年に廃止され、現在は福武線のみとなってます。
福井新(現赤十字前)~福井駅前~田原町は路面を走っています。
まだ南越線が健在だった1973年、1976年、南越線廃止後の1982年、2009年の訪問です。


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200形モハ202

1982年5月4日撮影 本町通り~公園口

200形モハ202

1960年~62年に急行用として導入された日本車輌製自社発注車。 福井鉄道を近代化した画期的な電車でした。連接車であり、二両編成で、モハ202-1+モハ202-2という付番です。2015年廃車。

1973年3月26日撮影 福井駅前

1976年5月2日撮影 福井駅前

200形モハ202

1982年5月2日撮影 市役所前

200形モハ202

2009年5月11日撮影 市役所前

200形モハ203

最後まで残った200形。2017年に引退。

1976年5月2日撮影 福井駅前

1982年5月4日撮影 市役所前

200形

分岐器の上はスノーシェードで覆われています。

1982年5月4日撮影 花堂

200形

1982年5月4日撮影 鳥羽中~三十八社

200形

1982年5月4日撮影 鳥羽中~三十八社

200形モハ201

1982年5月4日撮影 鳥羽中~三十八社

200形

1982年5月4日撮影 鳥羽中

200形

1982年5月4日撮影 鳥羽中

200形モハ203

1973年3月26日撮影 武生新(現越前武生)~西武生(現北府)

200形 160形

1976年5月2日撮影 西武生(現北府)

160形モハ161-2+モハ161-1

1933年日本車輌製の自社発注車、軌道線用の元モハ60形。
1968年に自社工場で連接車に改造されモハ161-1,2となりました。元モハ61のモハ161-2は1948年の福井地震で被災し、復旧しています。1997年に廃車されましたが震災復興のシンボルとして161-2が福井市内に、161-1は南越線村国駅跡に分かれて保存されています。

1982年5月4日撮影 福井新(現赤十字前)

1982年5月4日撮影 福井新(現赤十字前)

初代140形モハ141

140形は2代あり、こちらは初代140形。 元名鉄モ700形 モ701。1964年入線。 北陸鉄道モハ3700形も元名鉄モ700形です。1979年廃車。

1976年5月2日撮影 武生新(現越前武生)

初代140形モハ142+クハ142

元名鉄モ700形モ705+元瀬戸電気鉄道キハ300→名鉄ク2202。元名鉄同士で固定編成化されていました。1964年入線。1979年廃車。

1976年5月2日撮影 本町通り

1976年5月2日撮影 公園口~本町通り

二代目140形モハ142-1+モハ142-2

1982年5月4日撮影 家久~上鯖江(現サンドーム西)

140形モハ142-1+モハ142-2

モハ142-2は1931年日本車輛製の元知多鉄道デハ910形デハ916→名鉄900形モ902。北陸鉄道モハ3740形も元名鉄モ900型です。
モハ142-1は1941年汽車会社製の元長野電鉄モハ300形モハ302。固定編成化されていました。1980年運用開始。1998年廃車。

1982年5月4日撮影 田原町

1982年5月4日撮影 田原町

140形モハ142-1+モハ142-2

1982年5月4日撮影 本町通り

140形モハ142-1+モハ142-2

1982年5月4日撮影 公園口

140形モハ142-1+モハ142-2

1982年5月4日撮影 鳥羽中

140形モハ142-2+モハ142-1

1982年5月4日撮影 鳥羽中

140形モハ143-2

1931年日本車輛製の元知多鉄道デハ911→名鉄モ907。この編成は前年窓が連続三枚窓になっています。1999年廃車。

1982年5月4日撮影 武生新(現越前武生)

140形モハ143-1

1929年加藤車輌製作所製の元鯖浦電気鉄道デハ10形デハ12→福井鉄道モハ42。1981年改造。1999年廃車。

1982年5月4日 武生新(現越前武生)

10形モハ11

1925年日本車輌製の自社発注車。モハ42と編成を組んでいましたが、1981年にモハ42がモハ143-1に転用され、1両だけになり休車状態でした。1985年廃車。

1982年5月4日撮影 西武生(現北府)

120形モハ121

1950年日本車輌製の自社発注車。前のフェンダーが救助網です。1992年廃車。

1973年3月26日撮影 福井駅前

1973年3月26日撮影 武生新(現越前武生)~西武生(現北府)

120形モハ121

3年の間に改造され、フェンダーが普通の形になっています。ここで京福電鉄(現えちぜん鉄道)三国芦原線と連絡しています。

1976年5月2日撮影 田原町

120形クハ121

1929年日本車輛製の元三河鉄道デ300形301→名鉄モ3001。1966年南越線に入線。南越線から1971年の南越線一部廃止のときに電装解除され、福武線に転属しモハ121とペアを組んでいました。1978年に電装されモハ121-2になっています。1992年廃車。

1976年5月2日撮影 市役所前~裁判所前

120形モハ122

1950年日本車輌製の自社発注車。1997年にWN駆動に改造され、2006年まで残りました。

1976年5月2日撮影 市役所前

120形モハ122+クハ122

2002年まで市役所前電停から交差点を挟んで、武生方向のみ、本町通り電停がありました。この先の幸橋架け替え工事で廃止されています。

1976年5月2日撮影 本町通り

120形クハ122

1929年日本車輛製の元三河鉄道デ300形302→名鉄モ3002。クハ121と同様南越線から転属。この時はクハでしたが、1978年に電装されモハ122-2となりました。その後、1997年に再び電装解除され、クハ122に戻り、2006年廃車。

1976年5月2日撮影1 市役所前~裁判所前

120形モハ122-1+モハ122-2

クハ122が電装されてモハ122-2となっています。

1982年5月4日撮影 鳥羽中~三十八社

120形モハ122-1+モハ122-2

1982年5月4日撮影 家久~上鯖江(現サンドーム西)

20形モハ21+クハ21

1930年日本車輌製の自社発注車。クハ21は元モハ22。1970年に電装解除し固定編成化。1986年廃車。

1982年5月4日撮影 市役所前

1982年5月4日撮影 武生新(現越前武生)

80形モハ81+クハ81

1982年5月4日撮影 鳥羽中~三十八社

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80形モハ81+モハ82

1921年製の元南海モユニ522+モユニ523。1948年入線時は木造車でした。1956年に車体を新製しており、南海時代の面影はまったくありません。4両あり、この頃はまだ4両とも電動車でしたが、1977年に2両が電装解除されモハとクハの2両固定編成化されています。1987年にカルダン駆動化、さらに冷房まで化され、2006年廃車。記録上車齢は80年以上になりますが、ほぼ全ての部品が入れ替わっています。

1973年3月26日撮影 武生新(現越前武生)~西武生(現北府)

1976年5月2日撮影 武生新(現越前武生)

80形モハ83+モハ84

1921年製の元南海モユニ521+モユニ524。同じく更新を繰り返し、2006年廃車。

1976年5月2日撮影 西武生(現北府)

80形モハ81+クハ81

固定編成化後。クハ81は元モハ82、モハ83がモハ82 モハ84がクハ82になっています。

1982年5月4日撮影 西武生(現北府)

80形モハ81+クハ81

ここから路面に出て行きます。

1982年5月4日撮影 福井新(現赤十字前)~木田四ツ辻

デキ1

1935年東芝製の自社発注機。1986年廃車。1984年まで貨物輸送を行っており、3両の機関車と1両の電動貨車(機関車に改造)を保有していました。

1982年5月4日撮影 西武生(現北府)

デキ2

1949年東芝製。三池鉄道向けとして生産され、竣工と同時に譲受。実際には直接納入されています。2001年廃車。

1982年5月4日撮影 西武生(現北府)

デキ3

1951年東洋電機製の元名鉄デキ111→遠州鉄道ED213。1975年入線。除雪用としてスノープローがつけられている姿と通常の姿。2017年現在健在です。

1982年5月4日撮影 西武生(現北府)

1976年5月2日撮影 武生新(現越前武生)

デキ11

1923年梅鉢製の自社発注車 元電動貨車デワ1。1980年に電気機関車に改造され、デキ11となりました。除雪用として2022年現在現役です。

1982年5月4日撮影 武生新(現越前武生)

  • 2014年12月14日up
  • 2021年12月28日更新レイアウト変更