蒲原鉄道
1923年開業。磐越西線の五泉から信越本線の加茂まで21.9kmを結んでいました。
最初の開通区間は五泉~村松で、1930年に村松~加茂が開通しています。
目的は、信越本線、磐越西線のルートから外れてしまった、この地区の中心、村松に鉄道を通すため、でした。
したがって、五泉~村松がメインであり、1985年に村松~加茂が先に廃止されています。
結局、五泉~村松も1999年に廃止になり、全線が廃止されました。
新潟の山間を行く、ローカルムード満点の路線でした。
1972年、1976年、1984年の3回訪問しています。
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モハ41形モハ41
1984年11月23日撮影 高松
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モハ11形モハ11
加茂駅を出てすぐのこの鉄橋は信越本線と共用していました。
1984年11月23日撮影 加茂
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モハ11形モハ11
1976年3月22日撮影 村松


モハ11形モハ12
1985年廃車。
1976年3月22日撮影 村松


モハ51形モハ51
元モハ13。モハ11形は11~13の3両ありましたが、1954年にモハ13は機器をモハ41に供出し、廃車となったモハ1の機器に入れ替え、モハ51となりました。11 12とは台車が違っています。 1985年廃車。阿賀野市の安田民族資料館(閉館)に保存。
1972年3月撮影 村松


モハ31形モハ31
前述のモハ101→モハ21の機器を利用した1952年東京電機工業の出張施工による自社村松工場製。ロングシートで最後まで2扉でした。1999年廃車。
1976年3月22日撮影 加茂


1972年3月撮影 七谷


モハ31形モハ31
1976年3月22日撮影 土倉


モハ31形モハ31
1976年3月22日撮影 土倉


モハ41形モハ41
前述のモハ13の機器を利用し、1954年東京電機工業の出張施工による自社村松工場製。前述のモハ31と同型の車体で2扉クロスシートでしたが、1963年に車体延長3扉ロングシート化されました。 1999年全線廃止時に廃車。五泉市総合会館に保存。
1984年11月23日撮影 土倉~高松
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1984年11月23日撮影 狭口~七谷
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モハ41形モハ41
1984年11月23日撮影 冬鳥越
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モハ41形モハ41
1984年11月23日撮影 大蒲原
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モハ41形モハ41
1976年3月22日撮影 土倉~高松


モハ41形モハ41
1976年3月22日撮影 土倉~高松


モハ41形モハ41
1976年3月22日撮影 高松~大蒲原


モハ41形モハ41
1984年11月23日撮影 大蒲原


モハ61形モハ61
1940年日本鉄道自動車(現東洋工機)製。元武蔵野クハ5856→西武クハ1232を1958年に電装して導入。元西武クハ1231型には一畑電鉄クハ101~104があります。 1999年廃車。冬鳥越スキーガーデンにて保存。
1984年11月23日撮影 狭口~七谷
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1984年11月23日撮影 冬鳥越
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モハ61形モハ61
1984年11月23日撮影 大蒲原
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モハ61形モハ61
1972年3月撮影 村松


モハ71形モハ71
1965年に元武蔵野デハ1322→西武クハ1211を再電装して導入。元武蔵野デハ1320系としては流山電鉄モハ1001クハ52 近江鉄道モハ9新潟交通クハ39等があります。 1999年廃車。
1972年3月撮影 村松


1976年3月22日撮影 五泉


モハ21形モハ21
元名鉄モハ455 1947年入線。なんと木造車です。モハ101として入線しましたが、1952年に機器をモハ31に供出し、廃車となったデ1の機器に入れ替えモハ21となりました。 前述のモハ51と同じ経緯で、履いている台車も同じです。1979年廃車。
1976年3月22日撮影 村松


1976年3月22日撮影 村松


モハ91形モハ91
元山形交通モハ106。1975年に山形交通の廃止により譲渡され入線。元を正せば上のモハ21と同じ名鉄のモ450形451です。山形交通時代の1956年に車体が更新され、まったく違った姿になっています。 1985年廃車。
1984年11月23日撮影 村松


1976年3月22日撮影 陣ケ峰~東加茂


モハ81形モハ81
元越後交通長岡線モハ3002。1972年長岡線の一部廃止時に譲渡され入線。越後交通の前は京浜急行デ1形→デ111であり、京浜急行京浜間開通時に 準備された電車ですが、車体は更新され、まったく面影はありません。1985年廃車。
1976年3月22日撮影 村松


1984年11月23日撮影 村松


ハ2
元阿南鉄道キハ101 雨宮製の4輪ガソリンカー。付随車として使用されていました。1978年廃車。
1972年3月撮影 村松


ハ1
1927年京浜車輌工業製の木造客車。京浜車輌工業? 一説には武州鉄道(1938年廃止)から来たとも言われています。1927年製にしてはクラシック過ぎる感じもします。1978年廃車。
1972年3月撮影 村松


ワ11形ワ12 ワ11 ワム1形ワム1
ワ11形は1929年新潟鐵工所製。ワム1は1959年自社村松工場製。ワ11は三重県の「貨物鉄道博物館」、ワ12は真岡市の「SLキューロク館」、ワム1は和歌山県の「有田川鉄道公園」で保存されています。
1972年3月撮影 村松


ワ1形ワ1 ワ2
1923年日本車輛製。1972年廃車。すでに休車中と思われます。
1972年3月撮影 村松
デ1形廃車体
開業時に導入された1923年蒲田車輛製作所製の木造電車の車体。デ1とデ2の2両あり、デ1は1952年に前述の通りモハ21に機器を譲り廃車。デ2はモハ1に改称され、1954年にモハ51に機器を譲り廃車。 デ2→モハ1の車体は廃止後、復元され、冬鳥越スキーガーデンにて保存されています。
1972年3月撮影 村松


乗車券


