名鉄美濃町線

路線図の青字にリンクしています。

  

岐阜市内線の徹明町から、越美南線(現長良川鉄道)の関を通り、美濃まで24.8kmを結んでいました。
1911年に美濃電気軌道として開業。1930年に名古屋鉄道に合併。 1970年には田神線が開通し、新岐阜(現名鉄岐阜)まで乗り入れる様になりました。 しかし、この頃から乗客数が減少し始め、1999年には長良川鉄道が並行している新関~美濃を廃止。 車両を近代化するなど存続への努力は払われましたが、結局2005年に全線が廃止されました。美濃駅が登録有形文化財に指定され、保存されています
また、モ880以降の近代化された車両は福井鉄道に行って活躍しています。


写真をクリックすると全画面表示されます。再度クリックで戻ります。ブラウザによっては拡大されない場合があります。

   

モ880形

1980年12月6日撮影 上芥見~白金

モ590形591

1957年日本車両製。 路面用の車両であり、当初岐阜市内線で使用されていましたが、1971年以降は5両全部が美濃町線で運用されています。600V専用のため、新岐阜への乗り入れは出来ず、美濃町線内限定運用でした。 モ594 595の2両は1983年に廃車。 残りの3両はワンマン改造を受け、廃止まで運用されました。モ591 592の2両は廃止後、土佐電気鉄道→とさでん交通に譲渡され、活躍中です。 また、モ593が美濃駅構内に保存されています。

1980年12月6日撮影 上芥見~下芥見

モ591 592の2両は廃止後、土佐電気鉄道→とさでん交通に譲渡され、活躍中です。 また、モ593が美濃駅構内に保存されています。

1980年12月6日撮影 赤土坂~新田

モ590形591

1980年12月6日撮影 新関

モ600形603

1970年、田神線開通時に新岐阜乗り入れ用として日本車輌で新製された複電圧車です。 新岐阜乗り入れ用の主力でしたが、構造上冷房化できないため、2000年に601~605が廃車され、606のみ廃止時まで残っていました。モ601が美濃駅構内で保存されています。

1980年12月7日撮影 競輪場前

1980年12月7日撮影 競輪場前

モ600形

1980年12月6日撮影 上芥見~下芥見

モ600形モ601

美濃駅構内で保存されています。

1980年12月6日撮影 上芥見

モ600形602

国道248号線の端を走っていました。

1980年12月6日撮影 赤土坂~新田

1980年12月6日撮影 新関

モ880形

1980年日本車輌製の自社発注車。複電圧車で、新岐阜に乗り入れていました。廃線後は福井鉄道に譲渡され、活躍中です。

1980年12月7日撮影 競輪場前

1980年12月7日撮影 北一色

モ880形

1980年12月6日撮影 上芥見~白金

モ880形

1980年12月6日撮影 白金~小屋名

モ880形

1980年12月6日撮影 白金~小屋名

モ880形

1980年12月6日撮影 白金~小屋名

モ870形875+876

1965年東急車輛製の元札幌市電A-841+A-842。1976年に札幌市電で余剰となっていた連接車を3編成導入しました。 この頃は600V専用で新岐阜には乗り入れできず、主に徹明町~野一色の区間運転に運用されていました。2000年に複電圧対応に改造されています。2005年路線廃止後は引取り手がなく、廃車。モ875の前頭部のみ美濃駅構内に保存されています。

1980年12月7日撮影 徹明町

1980年12月7日撮影 徹明町

モ870形

1980年12月7日撮影 梅林

モ870形

1980年12月7日撮影 梅林

モ870形

スタフを持った職員が乗務員に手渡ししていました。ここで田神線が分岐していました。

1980年12月7日撮影 競輪場前

モ870形

1980年12月7日撮影 北一色

モ870形

この当時は野一色までの区間運転に多く使用されていました。

1980年12月7日撮影 野一色

  • 2014年12月14日up
  • 2021年12月17日更新 レイアウト変更