沿線スナップ(上信越/中部)
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高崎~水上間小運転用に73系(3両×2本)が新前橋電車区に配属されていました。同区の旧型車はスカ色が標準ですが、ぶどう色のままで活躍期間も短かったことからポイントリリーフ的な用途だったのでしょうか。写真の編成は客扱い運用から引退した後、モハ72を抜いて車内のみ簡易改造のうえ年末繁忙時に荷電代用として活躍しました。 |
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昭和43年の全線電化に伴って70系が入線しました。先頭のクハ77形はサロ85形からの改造車で新前橋区のみに配置され両毛線・吾妻線で使用されました。70系とは窓の高さが異なるので塗り分けラインが不揃いです。 |
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新前橋区のクモハ40、クモハ60、クハ55は昭和42年電化、昭和46年全線開業の吾妻線を主として一部両毛線でも使用されました。高崎地区では他にも高崎~横川小運転用としてクモハ40+モハ30+クハニ67の3両編成列車が昭和51年3月まで運転されています。 |
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上越線で使用された長岡運転所の70系は新潟色と言われた赤と黄のツートンカラーが特徴です。4両編成のほか、サロ格下げの2扉車サハ75、サハ85などを組み込んだ6両編成で使用されました。新性能湘南色のクモユ141形と併結して走る姿も見られました。 |
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スイッチバックの二本木駅で「木曽5号」と交換する豪雪地帯の80系。駅構内以外で列車写真を撮影するのは困難でした。 |
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EF63を先頭に碓氷峠を高崎に向かう松本運転所の80系。 |
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昭和43年の電化でD52に代わって入線した73系。当初の電動車はクモハ60形やクモハ73形も63形改造車が主でしたが、晩年は全金属改造車に入れ替わっています。連続勾配が続き唸りっぱなしの釣掛けサウンドが印象深い路線です。4両編成を基本にラッシュ時は8両編成も運転されていました。 |
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高尾~甲府で使用された三鷹区の70・72系は電動車の屋根を低くしたタイプで山スカ・山ゲタと呼ばれていました。3・4扉車を混結した4両もしくは4×2の8両で運転され行先表示は運転室に小型札をぶら下げる方式です。115系化によりモハ72形を除く大半が呉線に転用されました。 |
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韮崎~塩山には身延線用車両を使用した区間列車が運転されていました。 |
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飯田線の列車の中には辰野から上諏訪まで乗り入れる運用もあり諏訪湖のほとりを走る姿も見られました。 |
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名古屋口では神領電車区に大量の旧型国電が配属されていましたが昭和52年4月に73系が103系に置き換えられたのを皮切りに、昭和53年12月に中津川まで運転されていた70系が、昭和55年3月には最後まで残った80系も姿を消しています。 |
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名古屋近辺については気が付いた時には旧形国電の姿がなくなっていたという有様でほとんど記録が残せませんでした。撮影できたものも旅行途中に見かけたついでという程度。岡多線も同様ですが、何故北岡崎で撮った写真があるのか覚えがないという情けない1カットです。 |
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都内まで乗り入れていた静岡運転所の80系12連。湘南電車の最晩年の姿とも言えますが既に東京駅には入線せず品川止まりで運転されていました。なお同所の80系は昭和52年9月に、大垣電車区の80系は昭和53年3月にそれぞれ引退し、東海道線から80系の姿が消えました。 |
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昭和16年に富士身延鉄道を買収した路線で、トンネル断面の関係から電動車はパンタグラフ部分を低屋根化した車両が使用されました。飯田線ほどスターもなく沿線風景も大人しかった感がありますが、よく見ると充分個性的な車両が多く飯田線より近かったこともあって訪問した回数も多くなりました。 |
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昭和18年に豊川・鳳来寺・三信・伊那の4社を買収した路線で、沿線風景はもちろん車種、形態とも変化に富んで旧国ファンにとってあこがれの的でした。一大スターだった流電を含む豊橋機関区所属車は昭和53年11月に80系に置き換えられましたが、その80系も昭和58年2月には姿を消し、残った伊那松島機関区所属車も昭和58年8月の「さよなら運転」でフィナーレを飾っています。 |
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松本~信濃大町は信濃鉄道として開業、昭和12年に買収されたもので沿線風景が変化に富む南小谷まで電化されたのは昭和42年です。旧国の運用は信濃大町以南が主で南小谷まで入る本数は少な目でした。北アルプスや多くのスキー場をひかえた観光路線ですが、昭和41年から本格的に入線したのは3扉ロングシートのクモハ60やクハ55で、クロスシートの51系や42系は昭和46年~50年にかけてと遅れて入線しています。またサハ57改造のクハ55形が多く配置されていた線区でもありました。 |
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昭和18年に買収された元富岩鉄道の路線で、交流電化の北陸地区にあって直流車が走る特異な線区です。旧形国電としては昭和40年に17m車が配属されましたが2年後には73系が入線、晩年には順次全金属車への取替えが進められました。 |
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